くまさんの欧州自由旅 Act.V(page1)(2005.9.4作成 2007.5.8修正)
成田 → 北京 → フランクフルト(ドイツ) → チェコ → スロヴァキア → ポーランド →
スロヴァキア → ウクライナ → ハンガリー
→ スロヴェニア → イタリア → オーストリア
→ イタリア → スイス → フランス → スイス → フランス → ドイツ → 北京経由 → 成田

2005 7月30〜 8月24

Page.1    Page.2へ    DATAへ

3度目のヨーロッパ自由旅は、高一の姪との珍道中になりました。

  「現実逃避がしたい」と、およそ高一の女の子がほざく言葉とは思えない一言から、航空券の高い高いこの時期の旅になりました。
  「航空会社未定」のフランクフルト往復航空券は、105,000円とこの時期にしては安かったので飛びついたのですが、何故か航空会社は嫌いな中国国際航空だし、空港使用料・税金等で、最終的には119,540円という、いつもよりとんでもなく高いチケットになってしまいました。

2005年7月30日(土)成田〜北京〜
  9:30発の北京行きは30分ほどの遅れで出発、機内サービスは当てにしていませんが、やっぱりよくない(T-T)

国旗 CHINA

  それより問題は北京だ。北京での乗継は、何故か普通にやると一旦入国して、再度チケットを発行してもらってから出国手続きを取って・・・と、たっぷり2時間はかかるのだ。案の定今回も走りに走って、やっと乗り継ぎ時間に間に合いました。
  ちなみに、途中にあった荷物のターンテーブルを見ると…何と直行でフランクフルト行くはずの自分たちの荷物がくるくる廻ってる。仕方がないので、大荷物も抱えての一大移動でした。
  実は中華航空はここでも大幅に遅れ、そんなに急ぐ必要は無かったのですが、フランクフルトに着くのはその分遅れます。これは死活問題。タダでさえ夕方着で宿が見つかるかどうかわからない中で、一次は野宿も覚悟したほどです。

国旗 GERMANY

  結局到着は予定の18:20から遅れて20時をまわり、それから大急ぎでレンタカーを借りて空港を出ました。くまはいいけど、初日から女の子に野宿させるわけにも行きませんからね。
  早速レンタカーの鍵を受け取って車を探し出し、荷物を詰め込んでさぁ出発!と思ったのですが、何故かバックギアに入らない(^_^ゞ実はギアの根元に傘が付いていて、それを引き上げながらでないとバックに入らないのですが...気が付くまでに10分近くかかったかも。。
  それでも気を取り直して出発です。行き当たりばったりですが空港前の高速3号線を西に移動し、現金を手に入れるために立ち寄ったスタンドの地図でお城マークらしきものが書いてあったNo48の出口からBad Cambergに向かいました。
  ここで一軒のペンションを聞き当てたのですが残念ながら休館、仕方なく、駅前のHotel Taunusに宿を取りました。


  北京で乗り換えの方、ここまで来たらあきらめて出国してください\(_ _;)

     ボリュームたっぷり豚足ディナー

   メルヘンチックなBad Cambergの旧市街

(二人で朝食付き88ユーロ)最初からの予算オーバー、こりゃ当分貧乏財政だなぁ。。\(_ _;)  何とか夕食だけは食べさせてもらいました。「お勧めは?」と聞いたら「豚は好きか?」と聞かれたのでOKしたら、豚足のすごいのを持ってきました。多分今回の旅でボリュームは一番でした(^^;;

Bad Cambergで見つけたドイツの花々


この日、朝の気温は14℃でした。

7月31日(日)
  改めて見てみると、今回のレンタカーは「オペルCORSA 1.2L Twinport」、の3ドア車。車内は広いんですが、4ドアでない分だけ、ちょっと使い勝手が悪いですね。ラゲッジに荷物を積んで、後部座席に小物などを積み込みます。そして、HARTZのレンタカーで初めての色付き(紺色)でした。
  実はこの日、地球の歩き方掲示板で知り合った女性とチェコで会いましょうと言う事になっていたので真直ぐチェコに向かいます。
  ずっと高速ばかり走っても面白くはないので、途中国道でショートカットしたりしながらチェコの西部を目指しました。写真はこの日は日曜日でどこの店も閉まっていて、飢えながらさまよったサッカー場。ビール
会社のトラック2台(2社)とホットドック屋さんが出てた。あまりのすさまじさに買えなかったけど(T-T)

国旗 CZECH

  チェコに入って、国道21号線沿いのStara Vodaという小さな街のPension FLASHさんにお世話になりました。(二人で31ユーロ)
  ここも日曜日で6時でレストランが閉まるとの事、何とか滑り込みセーフで食事をいただきました。二人で飲んで食べて、何と勘定は10ユーロ(1,400円)これだからチェコは好きなんだよなぁ(^^

  食事をしている間携帯電話が鳴りました。実は今回は姪もいるので連絡用に海外でも使える電話を買ったのです。
  電話は会う約束した方からでした。次の日の夕方、東部の街の駅で会いましょうというもの。地図を出してルートを考えながら、この日は終わりました。

朝もやのペンションFLASHと、そこで見つけた花たちです。


Melnikの回廊は、中々エキゾチック

月 1日(月)
  この日は移動距離が長いので、早めに朝食をすませて出発です。何と朝の気温は12℃でした。
  最短で高速に乗り、プラハを高速で通過して東へ行く予定だったのですが、どこをどう間違ったのかプラハの北へ出てしまいました。
  すると山の上に何やら大きな教会都市が見えます。あまりに見事なので、ちょっと立ち寄ってみました。街の名はMelnik。現金もほしかったのでATM探しがてらちょっと寄り道です。
  行ってみると、中々いい街ですね。中央の広場の周りには、強い日差しから人を守るように回廊が続く独特の形状をしています。とりあえずお金を下ろして、スーパーで水を買ってから待ち合わせの街に向かいました。
  ここからの移動はしんどかった\(_ _;)
  チェコの高速はプラハ市内で途切れているため、一度市内を走らないと他の高速乗れないんですよね。
  仕方なく世界遺産の市内をさまよい(観光の余裕はなかった)方向だけで進んで何とか高速E50に出たので、Humqolecまで走り国道34号線、35号線と乗り継いで目的地に向かいます。
  しかしこの道、結構狭くて起伏があって大変です。おまけに、周りが鬼のように飛ばして走るのです。一般道で120Km/hなんて当たり前に出しているんです。怖かった〜\(_ _;)  途中素敵なお城や教会が沢山あったのですが、そんなものを見ている余裕がありません(ノ_<。)うっうっうっこれからチェコを走る方、この道お勧めです。のんびりお城を見ながら走ってくださいね(^_^ゞ
  待ち合わせをしたのは、Sternbergという旧市街にお城がある街での駅だったのですが、駅がわかりにくい\(_ _;)駅前のスタンドで聞いて、やっとわかりました。目の前のが駅だって(T-T)
  電車から降りてきたのが、初めてお会いするne_coさん。ちょっとくまを見て怖がっていましたが、こちらがコブ付きだということで安心はしていただいたみたい。この後二日ほど一緒に行動をしました。
  この日Sternbergで安宿を探したのですが見つからず、444号線沿いのUnicovという街まで戻りカップルに教えてもらったPension ALDOでお世話になりました。結構いい宿で、彼女と3人部屋にしてもらって1,400クローナ(朝食付き一人2,100円)でした。
  実はne_ckさん、暑いポーランドから来たのでしきり
に泳ぎたがっていたのですが...この宿プールあったんんですね。気づかなくてごめんね(^^;;

8月 2日(火)
  Unicovは街の中心の広場にお城のような市庁舎(・・・?)と大きな教会がある古い街です。石畳の旧市街は落ち着いていていい感じ。
  また、周囲が平坦な所が多いせいか、やたら自転車で移動する方が多いのです。朝の5時には自転車だらけで、ここは中国か?と思えるほど。

  この日は、観光したいと言うne_coさんの要望で、昨日通りすがりに見つけたお城を見学に行きました。

  Usov城とでも言うのでしょうか、外から見ると白い綺麗なお城なのですが、中に入ると剥製だらけで、日本人には悪趣味としか言えないもので、入った事を後悔してしまいました。

  気を取り直して涼しい山へ向かいます。
  ポーランドとの国境付近にあるjeseniky地区は山が厳しく、高原の避暑地を思わせる賑わいを見せ、ハイキングや自転車を楽しむ方がいっぱい。
  その中でも静かなVidly地区にあったPension Adamにお世話になりました。(3人で998クローナ、一人1,500円弱)周りは自然がいっぱい。花を見ながら水遊びもしちゃいました。


ペンションAdamと、Vidlyで見つけた花々?
8月 3日(水)
  泊まったVidlyという小さな地域には見た限りでは十件ほどの家しかなく、そのうち一軒がAdamでもう一軒がホテルです。この日の朝の気温は8℃まで下がり、息が白くなるほどでした。
  昼にne_coさんをSternbergの駅で降ろしてお別れです。彼女は私たちと違って観光にプラハに行きたいと言う事で、方向が逆になるからです。お元気でね(^^
  我々はさらに東へ向かう事にしました。 実はこの日の午後から雨になり、しばらく雨に祟られる事になります。
  早い時間にスロバキア国境まで来たのですが、多少チェコのお金が残っていたためいろいろ宿を探します。しかし雨の時ってだめですね。宿が早い段階でいっぱいなんです。Kuncice pod Ondrejnikemと言う


雨にけむるPenzion Karolina

街でやっとPenzion Karolinaを見つけて泊まったのですが、宿は青少年センターみたいな感じの宿で、夕食は統一メニュー、皆ビールも飲まないで早々と部屋に戻って行きます。変な感じです。
  実はこの時現金は1,000クローナ(約4,500円)しか無かったんですよね\(_ _;)だから宿との交渉は大変。夕食と飲み物代まで入れての値段交渉です。宿代二人で600クローナ2,700円、夕食とビール、ジュースを入れて450クローナ2,000円、何とか予算通りに上がりました(^^v次の日、スーパーで非常食と水を買う事ができました。
  何と夕食中に野生の鹿が二頭、庭に現れました。雨で人影が無かったせいか警戒はしていないようです。ちょっと遠くて写真はいまいちですが、いいもの見たなぁ(^^
8月 4日(木)
  朝から国境を越えてスロバキアへ入ります。

国旗 SLOVAK

  現在EUに加盟した国同士でも通貨統合がされていない所は、入国と出国の事務所が一つになるなど簡易になって国境が残っています。ちょっと寂しい。
  スロバキアに入って最初にしたこと、それは姪にジャケットを買ってやる事。何と冒頭に写っている貸してやった黄色のジャケットを無くしてきやがった(^^メ)仕方が無いのでスロバキアでは有名な巨大マーケットTESCOで、長袖のジャケットを買いました。


道端のお城です。名前がわからない(^_^ゞ

  この日は朝から雨で、途中上の写真のようなお城や人造湖のビーチリゾートのような所もあったのですが、外に出て見ようという意識がわきません\(_ _;)
  スロバキアは横に一本幹線が通っていて、後は上下に道が続くと言う感じなのですが、この日はポーランド国境方面に向かいました。
  ポーランドに抜ける国境の街Oravska Polhoraに、黄色のかわいいPenzionでお世話になりました。ここはスキー客に提供するために家族向けに提供するような造りになっていて、ツインルームが3室、バストイレに広いリビングや冷蔵庫まで付いている豪華な造りで、二人で1,000コルナ3,500円、それに朝食が9コルナ30円と言う値段。う〜ん、考えてしまう(^_^ゞ
  実はこの宿、表からは小さく見えるのですが裏が
広く、そこに椅子やテーブルがあって奥には一面スキー場が見えます。いい所だなぁ。。もう少し宿泊費が安かったら連泊してもよかったんですけどね。マスターはまけてくれると言ってくれたのですが、彼女ががんとして譲らないんだよね\(_ _;)
  夜になると地元の若者が集まってきて一緒に呑んだよ(^^ いたずらで梅干出してあげました。すごい顔して食べてるでしょ(^_^ゞ
8月 5日(金)

国旗 POLAND

  今日は通過だけですけどポーランドに一度出ました。ZywiecからAndrychowRabkaNowy targ Lysaと移動しまして再びスロバキアに戻ってきました。途中工事中で大きく戻って回り道なんて事もありましたが無事戻ってきましたよ。
  ただね、Lysaの国境を越えるあたりで左の写真のように気温が6℃まで落ちたのです。ねぇ、今「夏」だよね?この言葉を何回言ったことやら(^_^ゞ

国旗 SLOVAK

  スロバキアに入ってからR67を利用し東へ移動します。途中の少し大きめの街Spisska Belaに入ると教会を中心に旧市街があり、中々いい雰囲気。
  そこにあったV Penzionにお世話になります。宿は二人で900コルナ3,200円弱。夕食はスロバキア料理のコース(スープとメイン)で150コルナですから500円という安さです。
  出てきた料理は、洋風のチヂミの中に肉や野菜が詰まっている感じの料理でとってもおいしかったです(^^

  一緒に泊まり合わせたイギリス人夫婦が遊んでくれました。やさしい英語で、とてもわかりやすかったです。
  お礼に折鶴の折り方をレクチャーしました。姪を先生にして進めたので、少しは異文化交流ができたかな?着ていた浴衣にも興味津々。楽しい一夜でした。
  こういう事が何回かあれば、きっと海外も怖くなくなるかもしれませんね。姪はスロバキアが気に入った様子です。
  ペンションは教会前にあって、見た目はちょっと。しかし、うなぎの寝床のように奥が深く、そして部屋は綺麗です。旧市街の宿命なんでしょうね。裏に駐車場まであって、中々の宿でした。

泊まった教会前の V Penzion と、古いお城の跡
  2005年7月、旧ソ連のウクライナ共和国大統領が来日し、小泉首相に「8月1日より日本人のビザは廃止する」と宣言しました。それまでウクライナはビザがあっても入国の難しい国だったのですが、この事が陸路での入国を可能にしたのです。

8月6日(土)
  この日は翌日にウクライナ行くための伏線です。国境近くの宿を探して北上したり南下したり。
  やっとZalzuiceという街でMotel Angelikaを見つけました。建てたばかりみたいで、湯船まで付いていたので助かりました。900コルナ3,200円程度です。
  実は夕食時に呑みすぎたのか食べ過ぎたのか、多少現金が足りなくなってユーロで支払うなんていうハプニングのおまけまで付いてしまったのぢゃ\(_ _;)


途中で見つけた湧き水 冷たくておいしい!


時間のかかるスロバキア出国ゲート

8月7日(日)
  宿を朝の7:00に出発してウクライナ国境に向かいました。既に国境には50台ほどの車が並んでいたのですが、それほど時間がかからないで抜けられるのでは?と思ったのですが・・・甘かった。スロバキアとは、あまり国同士が仲良くないのかな? スロバキアの出国ゲートに着くと、Car documentを出せと言います。え?一体何のこと??実は車検証だったのですが、それに気が付くまで20分ぐらいかかったでしょうか。
  車検証を出すと、今度はウクライナのビザを出せと言います。まぁ、それはいらなくなったと説明して大丈夫だったのですが。。
  実は今回借りたHertzレンタカーは、ウクライナへの入国を許していないのです。事故を起こせば当然

国境渋滞で最後に撮ったスロバキアの花々と、ウクライナで最初に見た不思議な建物
保険も支払われないのですが、それでも行って見たかったのです。ちなみにくまさんの、ちょうど30カ国めの国になりました。

国旗 UKRAINE

  ウクライナ側ゲートでは、英語のできる若い女性の軍人さんが対応してくれます。
  どこに行くのかと、仕切に「Transit?」と聞くのですが何の事かわかりません。電子辞書に打ち込んでもらったのですが、スペルが違っていてわからない。そこで普通の辞書まで持ち出して調べると・・・なぁんだ、「通過」って意味ではないですか\(^o^)/もう一度彼女を呼んで「Transitだ」と言って、やっと国境を抜けられました。


ウクライナの出国ゲート 向こうはウクライナです
結局、国境を越えるのに4時間半かかりました


ウクライナの大きな標識だけウクライナ語とローマ字のW表記 その他はウクライナ語だけ
どこまでも続くまっすぐな道に、農作業をしている馬車が通る、のどかなウクライナ

  だいぶ時間もたってトイレに行きたかったので、最初にスタンドに寄ったのですが、トイレは壊れたままで汚物もそのまま。あまりに汚さにめまいがしてしまいます。
  何とか済ませて地図を買おうかと思ったのですが、クレジットカードが使えなかったので結局買えませんでした。
  これが大きな意味を持つようになるのは、それからすぐの事でした。実はウクライナの標識の多くは、ウクライナ語でしか書いてないのです。つまり、今どこにいるのかもわからない\(_ _;)
  最初に入ったのはUzhorodという大きな街で、Copと言う街に向かって標識通りに進んでいたのに迷子になったんです(;_;)結局、ウクライナ語の地図無しでは何にもできないんですね。 せっかく苦労して入国したのですが、さっさと尻尾を巻いてハンガリーに抜けることにしました。
  結局、国境を抜けるのに4時間半、ウクライナ滞在時間45分、出国に1時間45分という、なんだかわからない一日になってしまいました。
  ちなみに、左の写真はハンガリー国境にあったロシア正教の教会です。バイパスのパーキングに建ってました(^_^ゞ

国旗 HUNGARY

  疲れました。国境を越えたら姪は隣で寝てます。大変だったなぁ(^_^ゞ
  今日はハンガリー北部のお城が沢山ある一帯で宿を探しました。途中のひまわり畑が心にしみます。早く休もう。。Szephalomの街で博物館も併設するMuzeumkert Pansioに泊まり、長い一日が終わりました。二人で6,600フォリント3,700円ぐらいです。(朝食付き)

8月8日(月)
 ハンガリーの最北部、スロバキアとの国境に近いこのあたりはお城が多く、こんな風に山の上に威風堂々と聳え立っています。眺めているだけでも、十分その迫力が伝わってきます。左の写真はFuzer城、 登るのもきつそうですね(^_^ゞ
  この日は北部の中都市Miskolcで迷子になってから山を越えて歴史の街Egerに向かいました。ここの旧市街で泊まりたかったのですが...何と旧市街方面は大渋滞で入れません。仕方なくあきらめてR24を使って田舎の匂いがする西へ向かいました。ここで出会ったのが下の写真のお城があるSirokです。お城のすぐ下のVar Pnzio Etteremに宿を取りました。6,400フォリント3,600円(朝食付き)です。
8月9日(火)
  朝起きると昨日までの雨がうそのような快晴で、頭上のお城がよく見えます。
  お城に行ってみたくて、Penzioの親父にお願いして今回初の連泊を試みます。しかし!言葉が通じないって大変だよね。携帯電話で英語のわかる親父の親戚を間にすったもんだ(^_^ゞ大部屋しか残ってないので部屋を移るならOKだと言うので、即お願いしました。で料金は6,000フォリント3,400円にディスカウントしてくれたよ(^^
  朝食を食べてる時、親父にキッチンに呼ばれました。何かなぁ?と行って見ると、夕べ使った箸が、何か魔よけのお守りのように金色のテープでディスプレーされているのです(^^;;;;;日本人は初めてだそうですが、少しは異文化交流できたかな?ちなみに、いくつかあった朝食の

ティーバックの中に見慣れた漢字で「緑茶」と書いたものが。飲んでみるとジャスミンティーでした(^_^ゞ
  朝食後に早速Sirok城にチャレンジです。近くのマーケットで水を買ってから出かけました。
  Penzioからお城までの距離は1kmないぐらいだと思うのですが、兎に角きついんです。(^_^ゞお城までの道は舗装されていますが角度は20%を越えている場所まであります。
  お城に着くと遊歩道などの整備は全くされておらず、木の梯子まで使って登ります。所々開いている穴は中も通る事ができますが、はっきり言って真っ暗ですよ(姪の談)(^_^ゞ登って観て降りてきて、全部で3時間ほどのコースでした。しかし、きつかった〜。
  この日姪を一人で街に放り出して郵便局を探させて家に手紙を送らせました。少しだけ現地の方と接する垣根が取れたかな?

お城の上からの眺め 柵も無いので注意が必要 はっきり言ってヒールでは無理です  

Penzioの親父とお城の内部 中はさながら天然のジャングルジムのようになっていて複雑 登るのは結構きついです
左の写真はSirok唯一の銀行 駐車場も無いのに、ちゃんと人がいました(^_^ゞ

Page.1    Page.2へ    DATAへ

戻る